狼煙を見よ

1974年に怒った連続企業爆破事件は、左翼による事件としては、あさま山荘事件と双璧といえるのでは?。むしろこちらこそ「極北」の印象を受けさえします。「あさま」が左翼運動の問題を世間の目にさらす一方、こちらは意図しない犠牲者を生んだとはいえ首謀者達の計画が実現してしまった。ことの重要性の割に、人の口端に登らぬよう何らかの意図が働いてると想像しています。本書は主犯格の人物の親子関係を入り口に事件に切り込んでます。いわば犯人側の立場に立ってる。優れた小説家の手によれば、読者に感情移入させることは可能なんですね。確かに動機には理解もできなくもない。しかし仮に正しい理念があったとしても、ならばどんな暴力も許されるとはいかない。やはりこれはテロとしか言いようが無い。日本という国で職を得てる物が、程度の差こそあれ第三世界の犠牲のうえに存在する敵とみなされてる以上、そんな敵の一員である私の気持ちは犯人の範疇の外にあることでしょう。人が魅力的に描かれてるだけに、圧倒的な重さを漂わせる作品。著者は執筆の動機を次のように述べてます。

何もしない者は、それだけ間違いも起こさぬものです。そして多くの者は、不正に気付いても気付かぬふりをして、何も事を起こそうとせぬものです。東アジア反日武装戦線の彼等は、いわば「時代の背負う苦しみ」を一身に引き受けて事を起こしたのであり、それゆえに多数の命を死傷せしめうというとりかえしのtかぬ間違いを起こしてしまったということです。その間違いだけを責め立てて、何もしないわれわれが彼等を指弾することができるでしょうか。極悪犯として絶縁できるでしょうか

狼煙を見よ :松下 竜一|河出書房新社